今回はヒストリーはお休みです。
うちのジムのフツーのお話です。
毎回、僕がジムに入ると笑顔で僕を見つめる美白の村中優(フラッシュ赤羽の奇行のエース)が、またもやニコニコしながら、「長瀬さん鳩山総理やめましたね!」
!!!!!!?????
皆さんにこの形容しがたい事態がお分かりになるでしょうか!?
絶対衆議院も参議院も分からないような身長163センチのミソと外見が小学生レベル村中優から政治の話が飛び出してきました。
その衝撃に僕の一日のリズムが狂ったのは言うまでもありません…
今回はヒストリーはお休みです。
うちのジムのフツーのお話です。
毎回、僕がジムに入ると笑顔で僕を見つめる美白の村中優(フラッシュ赤羽の奇行のエース)が、またもやニコニコしながら、「長瀬さん鳩山総理やめましたね!」
!!!!!!?????
皆さんにこの形容しがたい事態がお分かりになるでしょうか!?
絶対衆議院も参議院も分からないような身長163センチのミソと外見が小学生レベル村中優から政治の話が飛び出してきました。
その衝撃に僕の一日のリズムが狂ったのは言うまでもありません…
2002年度の新人王にエントリーしました。
この年の新人王は、河野選手、中広選手、金井選手、石井一太郎選手、熊野選手等が、出場していた年でした。
(多分…)
フラッシュ赤羽も6選手エントリーして万全を期していましたが、
後に新人王になった選手とあたり僕以外全員敗退してしまい、新人王はやっぱり大変なだと実感していました。
僕は準決勝までなんとか駒を進める事が出来ましたが、準決勝で引き分け敗者扱いで僕の新人王は幕を閉じました。
その試合は3Rまで自分優位で試合を進めダウンも奪いましたが、4R逃げの体制に入ったら、判定で追い上げられていました。
僕にとっては全く勝った気でいたので、言い表し様の無い悔しさでいっぱいでした。
やはり、僕は下がりながらカウンターを取るタイプで印象が悪かったんです。
その時どんな状況でも前に出るスタイルを作って行こう決意を抱きました。
次回に続く…
同期に先を越され、僕もなんとか、プロテストに合格してデビュー戦ができるようになったのは19歳のときでした。
少しづつ自分のボクシング自信が持てる様になり同期の能登さん、熊谷のようにすっきりKO勝ちできると思い込んでいました。(能登さんは判定でしたが…)が、ふたを開けたら、なんて事は無い。しょーもない試合をしました。
1ラウンド僕のパンチで相手はガクガク。「よし。即KOだ。」と、力みまくる僕は倒す事が出来ず、体力を使い果たし、グダグダの判定…。
かろうじて勝利する事は出来たが、トレーナ達の不満大爆発で試合の次の日に2戦目の詳細が決められていました。
今考えると本当に幸せな話です。そうやって、叩き上げてもらって感謝しています。
それと当時、幸せだった事はジムに同期のライバルがいっぱいいてくれた事です。能登さんはじめ、熊谷、吉満さん、高田さん、宮崎さん。本当に切磋琢磨しながら、互いを磨き合っていました。そのくらいから、僕を見てくれているチーフトレーナーも僕の他と変わったボクシングスタイルを認めて互いに研究してくれる様になりました。
本当にボクシングが生活の主体になり始めた時期でした。
そうなると、最初の目標が見えてきますよね。
そうです。
新人王!
次回は新人王の話をさせていただきます。
次回に続く。
能登さんは後に僕のライバルになりました。
初対面の時はストレッチ中に足の踵を打って痛がりつつ照れ笑いたのが今でも思い出します。
あきらかに世間一般的なボクサー像とは真逆な人で、当時はボクシングもお世辞にも上手いとは言えなかったですね。
が、しかし能登さんの練習風景は他と少し違っていまして、練習量の多さはもちろん人一倍以上でしたが、なにより地味に目立たずコツコツ同じ事を丁寧に延々と練習していました。
そこに能登さんの人間性が垣間見られ、
言うまでもなく僕はこの人を尊敬しました。
でもボクシングは別です。ジムメイトにも負けたくありません。
しかし、僕はまだまだペーペーで能登さん、当時のジムメイトの熊谷(後のスーパーライト級日本ランカー)にもプロテスト受験とデビュー戦を先に越され、
悔しい思いを噛み締めながら二人が後楽園の華々しい舞台で勝利しガッツポーズをしているのを眺めていました…
次回に続く。
18歳でボクシングジムに入門したのですが、当時は練習生が多くフラッシュ赤羽はものすごく活気がありました。
とりあえず怖そうな人たちが多く、右も左も分からない素人の僕としては居心地がよく無かったのは覚えています。
今は凄くよくしてくれているチーフトレーナーからも当時は目をかけてもらう事は少なかったですね…(多分)
バスケからある意味逃げてきたからには、ボクシングで落ちぶれたくなかったんで、気持ちは切れる事はありませんでした。
そんなこんなで練習を続けていくうちに、ジムの先輩達は見た目は恐ろしいが、内面はいい人なんだと気付いてきた頃、一人あきらかに田舎っぺ的なおっとりした、あきらかにボクシングとは無縁そうな人がいました。
その人は能登さんという、後に僕のボクシング人生で一番影響を与える人との出会いでした。
次回に続く
高校を卒業し、大学に行き、バスケの道を諦め、というか妥協したと同時にバイトをはじめて、ボクシングを始めるお金を集め、親に秘密でこっそりボクシングをやろうとしていました。
しかし、お金がたまるまで待ちきれずジムに
「将来活躍するんで入会金後払いでもいいですか?」
と電話してしまいました。
もちろんやんわり断られまして、少し凹んでいました。
今考えたら当たり前ですよね。
そんな感じでなんとか、お金を貯めた長瀬慎弥は晴れて18歳の2000年5月にフラッシュ赤羽ジムにてボクサー人生がスタートしました。
ちなみにフラッシュ赤羽は学校から家の帰り途中で一番行きやすい環境にあったから選びました。
次回に続く…
前回のブログで書きましたが、僕の歴史的な物をかたって行こうと思います。 まぁ俗に言う自伝ってヤツですね。僕が自伝なんて恐縮ですが、どうぞお付き合いください。
ボクシングを意識しはじめたのは中学生の頃ですね。
仲のよかった友達がボクシングにはまり、みんなではじめよう。と、フラッシュ赤羽に初めて訪れました。
6人くらいで見学に行ったんですが、体が大きく、オラオラ系の中に一人だけ、当時は体が小さく、可愛いとよく言われた僕がいました。あきらかに、ボクサーとしては期待されない感じでした。
しかし、親にボクシングを大反対され、高校の時はバスケをやっていました。バスケは好きだったので、高校生の時の青春はバスケに全てそそぎました。
でも、ボクシングの事はずっと頭の隅にありました。
自分が、スポーツ選手として有名になれるのはボクシングだ!
という、根拠のない自信と共に…
そして高校を卒業しました。
次回に続く…
ボクブロがスタートしてから、1ヶ月たちました。
他のボクサーの方のページも見まくっていますよ。
中でも感心すべきは氏家さん。
毎日かかさず更新していますね。
しかも、オチャメな感じで。
近藤選手はブログからもいい人オーラが溢れ出ていて素晴らしいですね。
僕はどう見られてるのでしょうかね…?
ボクサーっぽくない感じにうけとらてそうなので、ここでBoxingネタでいきます。
と思いましたが、ブログの文章を携帯で書くのが腕の限界に到達したので、次回にします。
次回のお題は「 長瀬しんやBoxing人生のハジマリ(仮)」みたいな感じでいきます。
よろしくお願いします。
うちのジムにもやってきました。高校を卒業したばかりのルーキーが。
その彼は純粋であどけない感じがフレッシュな好青年でした。
18歳。
可能性にみち溢れています。
少しうらやましいですね。
若手と呼ばれる時間は過ぎるのが早いもので、その一瞬を大切にして頑張ってもらいたいですね。
ボクサーズナイト。
泣く子も黙る?フラッシュ赤羽ジムの興業。
フラッシュからは清田と横枕が出場。
二人は同期で僕の大切な後輩達です。
清田はみなさんご存じでしょう。
溢れ出す凶暴な破壊力の持ち主で中身はオチャメさん。
横枕は知名度はないでしょうが、肉を切らせ骨をたつ的なスリリングな試合をする熱い?人間です。
横枕はいろいろ苦労を重ねたどり着いた復帰戦でKO勝ち!
僕も思い入れが強かったので本気に嬉しいかった。
清田はジムの核として回りの期待を背負い、そしてその期待を裏切らないKO勝ち。
本当に素晴らしく、また刺激をうけました。
今年のフラッシュは最高のスタートを切りました。
フラッシュ赤羽は、稲垣がいて、佐野がランカーになって、村中が戦線に復活する。そして、他の選手も活躍してジムが盛り上がり
何よりジムのアニキ的立場にいる自分がチャンピオンにならなければいけない。
と強く感じました。
ものすごく同僚の活躍は刺激になります。
やったるぞ!