2010年5月 のアーカイブ

ヒストリー6

2010年5月25日 火曜日

2002年度の新人王にエントリーしました。

この年の新人王は、河野選手、中広選手、金井選手、石井一太郎選手、熊野選手等が、出場していた年でした。

(多分…)

フラッシュ赤羽も6選手エントリーして万全を期していましたが、

後に新人王になった選手とあたり僕以外全員敗退してしまい、新人王はやっぱり大変なだと実感していました。

僕は準決勝までなんとか駒を進める事が出来ましたが、準決勝で引き分け敗者扱いで僕の新人王は幕を閉じました。

その試合は3Rまで自分優位で試合を進めダウンも奪いましたが、4R逃げの体制に入ったら、判定で追い上げられていました。

僕にとっては全く勝った気でいたので、言い表し様の無い悔しさでいっぱいでした。

やはり、僕は下がりながらカウンターを取るタイプで印象が悪かったんです。

その時どんな状況でも前に出るスタイルを作って行こう決意を抱きました。

次回に続く…

ヒストリー5

2010年5月8日 土曜日

同期に先を越され、僕もなんとか、プロテストに合格してデビュー戦ができるようになったのは19歳のときでした。

少しづつ自分のボクシング自信が持てる様になり同期の能登さん、熊谷のようにすっきりKO勝ちできると思い込んでいました。(能登さんは判定でしたが…)が、ふたを開けたら、なんて事は無い。しょーもない試合をしました。

1ラウンド僕のパンチで相手はガクガク。「よし。即KOだ。」と、力みまくる僕は倒す事が出来ず、体力を使い果たし、グダグダの判定…。

かろうじて勝利する事は出来たが、トレーナ達の不満大爆発で試合の次の日に2戦目の詳細が決められていました。

今考えると本当に幸せな話です。そうやって、叩き上げてもらって感謝しています。

それと当時、幸せだった事はジムに同期のライバルがいっぱいいてくれた事です。能登さんはじめ、熊谷、吉満さん、高田さん、宮崎さん。本当に切磋琢磨しながら、互いを磨き合っていました。そのくらいから、僕を見てくれているチーフトレーナーも僕の他と変わったボクシングスタイルを認めて互いに研究してくれる様になりました。

本当にボクシングが生活の主体になり始めた時期でした。

そうなると、最初の目標が見えてきますよね。

そうです。

新人王!

次回は新人王の話をさせていただきます。

次回に続く。

ヒストリー4

2010年5月4日 火曜日

能登さんは後に僕のライバルになりました。
初対面の時はストレッチ中に足の踵を打って痛がりつつ照れ笑いたのが今でも思い出します。
あきらかに世間一般的なボクサー像とは真逆な人で、当時はボクシングもお世辞にも上手いとは言えなかったですね。

が、しかし能登さんの練習風景は他と少し違っていまして、練習量の多さはもちろん人一倍以上でしたが、なにより地味に目立たずコツコツ同じ事を丁寧に延々と練習していました。

そこに能登さんの人間性が垣間見られ、
言うまでもなく僕はこの人を尊敬しました。

でもボクシングは別です。ジムメイトにも負けたくありません。

しかし、僕はまだまだペーペーで能登さん、当時のジムメイトの熊谷(後のスーパーライト級日本ランカー)にもプロテスト受験とデビュー戦を先に越され、

悔しい思いを噛み締めながら二人が後楽園の華々しい舞台で勝利しガッツポーズをしているのを眺めていました…

次回に続く。

ヒストリー3

2010年5月1日 土曜日

18歳でボクシングジムに入門したのですが、当時は練習生が多くフラッシュ赤羽はものすごく活気がありました。

とりあえず怖そうな人たちが多く、右も左も分からない素人の僕としては居心地がよく無かったのは覚えています。

今は凄くよくしてくれているチーフトレーナーからも当時は目をかけてもらう事は少なかったですね…(多分)

バスケからある意味逃げてきたからには、ボクシングで落ちぶれたくなかったんで、気持ちは切れる事はありませんでした。

そんなこんなで練習を続けていくうちに、ジムの先輩達は見た目は恐ろしいが、内面はいい人なんだと気付いてきた頃、一人あきらかに田舎っぺ的なおっとりした、あきらかにボクシングとは無縁そうな人がいました。

その人は能登さんという、後に僕のボクシング人生で一番影響を与える人との出会いでした。

次回に続く