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[ニュース]2011.9.5

ビクター・オルティスの半生

 今年4月に不利との予想を覆し、アンドレ・ベルト(米)からWBC世界ウェルター級タイトルを奪取したビクター・オルティス(米)。この次期スーパースター候補の24年の半生は、想像を絶するほど波乱万丈である。


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 オルティスは米国カンザス州で生まれ育った。父の影響で7歳のときにボクシングを始めた少年に、ほどなくして人生の最初の試練が訪れる。彼が7歳のときに母親が家を出て行ってしまったのだ。やがて父親はアルコール依存症となり、息子たちを虐待することになる。こうした辛苦に耐えて生きてきたオルティスだったが、その父も5年後に子供たちを残して家を出て行ってしまった。
 幼い子供たちには酷と言わざるを得ない逆境だったが、オルティスは生活のためにトウモロコシ畑で働き、生計を立てながら兄弟とともに施設に入った。のちの世界チャンピオンが12歳のときのことである。しかし、13歳で兄弟それぞれが里親と暮らすため、姉が成人となる5年間は肉親のいない離ればなれの幼少時代を余儀なくされた。
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 そんな苦労人の拠りどころがボクシングだった。オルティスは17歳のときに2004年のアテネ・オリンピック代表選考会に参加。最終選考で落選したものの才能を高く評価された。その数ヵ月後、161戦141勝20敗のアマチュア戦績を引っ下げ、プロのリングでデビューすることとなる。
 デビュー戦の相手ラウル・モンテス(米)を1回TKOで下すと、その後も勝利を重ね7連勝。8戦目はダウン後の加撃で反則負けとなったが、その後は再び白星を重ねていった。
 2008年にトップランク社を離れたオルティスは、オスカー・デラ・ホーヤ主宰のゴールデンボーイ・プロモーションズと契約。ジェフリー・レスト(米)、マイク・アルノーティス(ギリシャ)とベテランを2戦連続2回TKOで下し、次期スーパースター候補として注目を浴び始めた。  
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 しかし、順風満帆だったボクシングキャリアも2009年6月27日、マルコス・マイダナ(亜)とのWBCスーパーライト級暫定王座決定戦で躓いてしまう。ダウン応酬の壮絶な殴り合いの結果、2度目の敗北を喫してしまったのだ。
 この敗北によってトップ戦線からの後退を余儀なくされたが、オルティスは落胆するどころか、以前よりもパワーアップして半年後にはリングに戻ってきた。
 再び注目を浴びることになったのは、敗北から3戦目、元WBA・IBF・WBO世界ライト級王者ネート・キャンベル(米)との10回戦をほぼフルマークの判定(100-89、99-90、100-89)で制し、トップ戦線に戻ってきたときだった。その後も不可解な引分けを挟んだが、すぐにマイダナ戦以来のビッグチャンスが再び訪れた。
 2011年4月16日、米国コネチカット州マシャンタケット。アンドレ・ベルト(米)の持つWBC世界ウェルター級王座に挑戦することになったのである。試合はマイダナ戦を髣髴とさせる打撃戦だった。
そしてダウン応酬の激闘を制したのはオルティスだった。3-0の判定勝ちで初の栄冠を獲得。  
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 WBC世界ウェルター級王者となったオルティスだが、栄冠はタイトルだけではなかった。幼少時代の辛い思い出がつまった地元カンザス州の知事により、2011年5月10日を“ビクター・オルティスの日”として定められたのだ。また、現在オルティスの住むカルフォルニア州ベンチュラからも功績を残した者に送られる栄誉ある賞“Key To The City”(町への鍵)が送られた。

 人生の壁をひとつずつ突き進んできたビクター・オルティスは9月17日、またフロイド・メイウェザーという巨大な壁と直面する。現オッズでは7対1で不利と出ているが、メイウェザーに勝利を収めたならば“次期スーパースター候補”から本当の意味でのスーパースターへと昇格するはずだ。

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