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[ニュース]2011.4.10

モズリーの半生B

 いまのところ不利の予想が伝えられるシェーン・モズリーだが、この男が過去に数々の逆境を乗り越え、ときに大一番で番狂わせを起こしてきたことを忘れてはなるまい。3階級制覇者モズリーの地力、経験を侮ることは危険だ。
 54戦46勝(39KO)6敗1分の39歳。“シュガー”シェーン・モズリーの栄光は、いつも屈辱を乗り越えた先に訪れてきた。
シェーン・モズリーの半生PART3
 ★PART3

 マネージャー&トレーナーに父親ジャックを据えたモズリーは93年2月、5回KO勝ちでプロ初陣を飾る。
 デビューの年に7連続KO勝ち、翌94年も9連勝(8KO)と破竹の快進撃を続けたモズリーは、早くも世界ランキングで10傑に名を連ねるまでになる。しかし、なかなか大きな舞台に立つチャンスは巡って来なかった。それどころか地域タイトルにすら挑む機会に恵まれなかった。マネージメントの力が不足していると指摘する関係者もいた。
 そんなモズリーを尻目に、バルセロナ・オリンピックで金メダルを獲得したオスカー・デラ・ホーヤは早々とタイトル挑戦のチャンスを掴む。94年3月、わずか12戦目でWBO世界スーパーフェザー級王者ジンミ・ブレダル(デンマーク)に挑んだのだ。そして11回TKO勝ちでプロ初の勲章を手に入れてしまう。かつて自分が下した年下の男が世間の注目の中で出世していく様を、はたしてモズリーはどんな思いでみつめたのだろうか---。
 デラ・ホーヤの初戴冠から遅れること3年、モズリーは24戦目にしてIBF世界ライト級王座を手に入れる。しかし、このころライバルはライト級、スーパーライト級、ウェルター級をも制覇していた。
 微妙な食い違いを見せながら平行線を辿っていたモズリーとデラ・ホーヤの人生だが、2000年6月に再び交錯することになる。デラ・ホーヤの持つWBC世界ウェルター級王座にモズリーが挑戦したのだ。
この試合、モズリーは5対2で不利と見られていた。IBF世界ライト級王座を8連続KO防衛したとはいえ、ウェルター級では2戦しか経験しておらず、体格面でも劣っていたのだ。人気や知名度にも大きな差があったため、報酬はデラ・ホーヤの800万ドル(当時のレートで約8億円)に対し、モズリーのそれは50万ドル(約5000万円)だった。スーパースターと単なるスター選手の違いといっていいだろう。
 DESTINY---運命と銘打たれたこの試合でモズリーは2対1の判定勝ちを収め、2階級制覇を成し遂げた。
 このころ、マニー・パッキャオは体重苦から解放され、アジアの一角でスーパーバンタム級でWBCインターナショナル王座を防衛していた。まだアメリカ進出を図る以前のことである。11年後、紆余曲折を経て両者の運命が交錯するなどと、いったい誰が予想しただろうか。

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