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[ニュース]2011.4.3

パッキャオの半生A

 パッキャオ対モズリー特集、オスカー・デラ・ホーヤ(米)と並ぶ史上2人目の6階級制覇王者で、現WBO世界ウェルター級のベルト保持者マニー・パッキャオのライフ・ストーリーPART2。
★PART2

 人生においてもボクサーとしてもパッキャオは何度かの幸運に恵まれている。十代前半でアマチュア・ボクサーとして才能を見出されたこともそのひとつといえよう。
 経緯は不明だが、のちのスーパースターはアマチュア選手としてフィリピンのナショナル・チーム入りを果たしている。このことはパッキャオに生活の安定をもたらした。国が住居を提供してくれ、生活の保障までしてくれたからだ。
 そのころパッキャオはボクシングにひと際深い関心を寄せていたようだ。「元世界ヘビー級チャンピオンのラリー・ホームズ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマンらのビデオを借りて何度も見た」と話している。
 アマチュア戦績は64戦60勝4敗。この数字に非公式の試合が含まれているかどうかは不明だ。
 アトランタ・オリンピックを1年後に控えた95年1月、パッキャオはプロ転向を果たす。今度は、ふたつの拳で成功を収め母親や兄弟に楽をさせてやりたいという思いがあったようだ。
 驚くことにパッキャオのプロ初陣は、ミニマム級リミットを1ポンド上回る106ポンド(約48.0キロ)だった。ミンドロで行われたこの試合で、パッキャオはエドムンド・エンティング・イグナシオ(比)という選手に4回判定勝ちを収めている。16歳の誕生日から1ヵ月後のことだった。この小さな少年が15年後に154ポンド(約69.8キロ)のクラスで世界チャンピオンになるなどと、誰に想像できただろうか。
 こののち、パッキャオは弟のボビー(のちのスーパーフェザー級の比国王座やWBC米大陸王座などを獲得)とロジェルをマニラに呼び寄せている。しかし、ロジェルはオートバイ事故で頭部を負傷、 ボクシングを断念することとなる。

続く<

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