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[ニュース]2011.4.2

パッキャオの半生@

 パッキャオ対モズリー特集、これから数回にわたって主役のふたりの半生とボクサーとしての足跡を振り返ってみたい。まずはオスカー・デラ・ホーヤ(米)と並ぶ史上2人目の6階級制覇王者で、現WBO世界ウェルター級のベルト保持者マニー・パッキャオのライフ・ストーリーを紹介しよう。
 昨年5月の選挙でフィリピンの下院議員となり、いまや大統領をもしのぐと言われるほどの知名度と人気を誇るパッキャオだが、少年時代は貧しく、一時は路上生活を送ったこともあるほどだった。そんな少年が世界一の座につくまでは苦難の連続だった。

★PART1

 1978年12月17日、エマヌエル・ダピドラン・パッキャオはフィリピンのミンダナオ島ジェネラル・サントスシティで生まれた。両親は農業従事者だったが、6人の子供を養うのには十分な収入を得られていなかった。
 母親のディオニシアによると「マニーは8歳ごろから手にタオルを巻きつけてグローブの代わりにして遊んでいた」というから、幼くしてボクシングに興味を抱いていたのだろう。パッキャオが正式にボクシングを習うのはそれから数年後、12歳のときである。
 その2年後、14歳になったパッキャオは母親のもとを離れ首都マニラに出たが、これはボクシングをするためではなかった。生活費を稼ぐために家業のほか工場でも働く母親を援助したかったのだという。「ある日、マニーから手紙をもらい『突然、家出をしてごめんなさい』と書いてあった。悲しかったけれど運命と思い受け入れた」と母ディオニシオは回顧している。
 マニラ時代のパッキャオは路上で生活しながら物を売ったり力仕事を得たりして日々を過ごしていたが、時間ができると非公式の試合に出場することもあった。勝てば数十円から数百円を得ることができたが、危険と隣り合わせでもあった。現に友人が命を落としたこともあったほどだ。
 当時の友人でもあるレイ・ゴリガンは、そのころのパッキャオについて、こう話している。「彼は自分からケンカを売ることは皆無だったが、頼まれれば助けに行くタイプだった。当時、ある場所で非公式の試合が行われていたが、彼も何度か出ていた。勇気とスピード、パワーはあったが、決してクレバーではなかったので、特別な存在には見えなかった」

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