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[特集]新人インタビュー
2020.9.16

飯村樹輝弥(角海老宝石)
 アマチュアからプロ転向組が相次いでいるが、その中でも関東大学ボクシングリーグ戦32度の優勝、全日本大学王座29度優勝の金字塔を打ち立てた名門・日本大学ボクシング部からもこの夏、村田昴(帝拳) 金子虎旦(帝拳(帝拳) 村樹輝弥(角海老宝石)の3名がB級プロテストに合格した。同部出身のプロ転向後の世界王者輩出は元WBA世界Sウェルター級チャンピオン三原正(三迫)、元WBA世界Sライト級チャンピオン平仲明信(沖縄)の2名と1928年創部以来92年の同部において意外と少なく感じると思うが、そこには実際にプロに転向する選手も少なかった背景がある。今年プロ入りした3人の中から同部3人目の世界チャンピオン誕生を期待したい。今回は、昨年まで主将を努め角海老宝石ジムからプロ転向した飯村樹輝弥に話を聞いた。


日本大学主将がプロ転向!狙うは世界。
 小学校5年生の頃まで知っているボクサーと言えば亀田兄弟ぐらいしか知らなかった。テレビで見た「WBC世界フライ級タイトルマッチ」チャンピオン内藤大助に挑んだ19歳のチャレンジャー亀田大毅が圧勝するものだと思い見ていたら、一方的なチャンピオンの圧勝に心が震えた。「何なんだ?この人」チャンピオン内藤大助の事を知れば知るほど興味を持った。

いじめられっ子が世界チャンピオンになれるんだ・・・僕にもできるかな?

 何をやっても続かなかった。少年野球にも入っていたが、内気な性格と小柄な体格ではチームにも馴染めず、1ヶ月もしないうちに辞めてしまっていた。


 テレビで見たボクシングが忘れられずに、父親にボクシングを習いたいとお願いするが、 「どうせ、気の弱いお前がボクシングなんてまた直ぐに辞めてしまうだろ?」と ジムに通うことを父は簡単に認めてはくれなかった。

 何度も何度もお願いして、ようやくジムに通うことが許されたのは半年が過ぎたころだった。初めは憧れのチャンピオン内藤大助がいる宮田ジムに通いたがったが、小学5年生が地元の江戸川区から通うのは厳しく地元のアマチュアジム「スマイルボックス」 (伊藤洋幸会長)へ入門した。






 「練習が、ボクシングが楽しくて、楽しくて本当に初めて夢中になれるものが見つかりました。」今まで何をやっても1ヶ月しか持たなかった習い事も嘘のようにボクシングに夢中になった。ボクシングを初めて丁度1年が経った頃、初めてジムでのスパーリング大会に参加し勝利したことで飯村のボクシング熱は更に加速する。「本当に毎日、毎日ジムに行ってました。」

 伊藤会長の熱心な指導もあり、かつての気の弱い少年は実力をつけ、他ジム主催のスパーリング大会(勝敗あり)にも小中学校、併せて15回ほどはエントリーをし、無敗を守った。






 中学校3年生になって周りが進路で騒ぎ始めてる頃、ジムとは違い、決して真面目に通っていなかった学校で現実を知ることとなる。

このままの成績では高校に行けない・・・」

 飯村は、中学生の時に駿台学園ボクシング部の練習に参加をさせてもらっていたため、高校は駿台学園に進学できるものだと思い込んでいた。 ジムに行き、伊藤会長に成績の相談をすると「今日からはジムに来るな、その分受験勉強しなさい」と。そこからは自分なりに精一杯勉強をしたが、2度の駿台学園受験は叶わなかった。






 飯村は駿台学園の他にも日出高校のボクシング部の練習にも参加をしたことがあった。 日出高校ボクシング部は、日本大学ボクシング部と合同で練習をしていた為、中学生の飯村も同じ練習をすることとなった。マススパー20ラウンド・・・高校生、大学生とレベルの高い部員達の迫力と実力に圧倒され、恐怖すら感じた。

 「死ぬと思いました」。中学生の飯村の心の中で「ここでボクシングしたら、壊れるか強くなるか?」駿台学園で練習した時に感じたここでボクシングをしたいと思う気持ちとは、どこか違い躊躇したことを思い出す。 結局、日出高校を受験することなく、中学校の卒業式を迎えることとなった。進学先が決まらないままの卒業式だった。






 ジム会長の伊藤は卒業してからも諦めずに飯村の進路を模索していると、日出高校の監督(当時)梅下監督が「通信制で良かったら1枠空いているので」と手を差し伸べてくれた。 「死ぬと思ったあの日から運命じゃないですけど決まっていたのかも知れません」とは本人の回想。

高校時代の成績は関東大会優勝、選抜インターハイ国体はどれも3位が最高成績だった。

 
中でも、中垣龍汰朗(日章学園→大橋)との3度の対戦は全敗をしたものの判定に物議になった試合もあった。日本大学進学後は、国体準優勝や1年生からリーグ戦出場、中垣にも大学最後のリーグ戦の舞台でリベンジすることができ、リーグ戦では2年連続で階級優秀選手賞も受賞した。「日出、日大でお世話になった7年間で梅下監督に教わったのは、人、一人の凄さです。まだまだ人間が出来てる訳ではないですけど人間らしくさせてくれました」






そして、ボクシングを始めた頃から変わらず目標だったプロボクサーへ

 日大では朝の6時からジムワークがあり、午後の練習は各自、縁のある者はプロジムやアマジムで練習するのを許されるスタイルだ。飯村は当然小学校時代から師事している伊藤会長の元で練習を重ねていたが、大学3年生の全本選手権で目をカットして負けて、自暴自棄に陥ってた時期があった。 そんな時に、ふと環境を変えたいと思い気がつくと、以前出稽古で行った角海老宝石ジムの前に立っていた。外から見るジムは活気に溢れかえっていた。ジムの中から加藤良紀トレーナーが外から見てる飯村に気づいてくれて声をかけてくれた。「どうしたんだよ?」飯村は自然と言葉が出た「また練習に来させてもらって良いですか?」。加藤トレーナーは「もちろんだよ!いつでも来いよ!」って笑顔で返事をくれた。プロになるにはこのジムからと飯村は決意した。

 現在、担当のトレーナーは西尾誠トレーナーが務める。「西尾さんとも運命を感じるんです」と飯村は言う。「帝拳ジムに一度スパーリングでお邪魔した時に、グロービングをしてくださったのが帝拳ジムのトレーナーだった西尾さんで、IPPOテーピングの話題になって気さくに声を掛けてくださって嬉しかったんです」それがある日、角海老ジムに練習に行くと西尾さんが移籍をされたと聞いて本当に運命だと思いました。飯村の理想とするボクサーは元2階級制覇チャンピオンで52戦 51勝 37KO 1分と無敗のまま引退したリカルド・ロペス(メキシコ)だ。

 西尾トレーナーもメキシコやアメリカで海外修行をし、飯村の理想とするボクシング観も精通している。「西尾トレーナーとは、コミュニケーションや意見交換をしっかりしています。一人で考えるんじゃなくそれが凄く楽しいです」。

 高校、大学と育ての親、梅下新介日本大学ボクシング部監督にも飯村について聞いてみた。「出会った当初は確かに気の弱い部分もあったが、団体生活で50数人の部員を主将としてまとめられるだけの人物になったのだから、失敗を恐れずに子供の頃から思い描いてる夢に向かって頑張ってくれたら私はそれで充分です。応援しています」。

 私も飯村の試合を実際に数試合リングサイドで見ている。好戦的なスタイルで、上下の打ち分けもでき攻撃も多彩だ。特に左ボディ打ちのタイミングなどは非凡なセンスを感じる。プロになるとラウンド数が増えるけど心配は無い?と尋ねると、即答で「長いラウンドの方が楽しみです」と返事が帰ってきたのも頼もしい限りだ。アマ時代はスタンスが広くなる時間があり、バックステップの距離が制限されてしまうので、プロ特有のためらいの無い踏み込みの攻撃などには気をつけて欲しいと思う。小学校5年生で思い描いた夢の世界チャンピオンを目指して猪突猛進の勢いで向かっていって欲しい 。

デビュー戦などはまだ未定






◆飯村 樹輝弥(いいむら・じゅきや)
1998年1月7日生:22歳/東京都江東区出身。
日出―日大。18年国体フライ級準優勝などアマ戦績は81戦68勝13敗。
身長1メートル64の右ボクサーファイター






■取材:藤原俊志
■写真:飯村樹輝弥・ボクシングモバイル

※筆者の紹介
藤原 俊志(ふじわら としゆき、男性、1974年9月19日 - )京都府京都市伏見区出身。
・1993年 南京都高等学校卒業
・1996年 アトランタ五輪指定強化選手
・2001年 日本大学卒業。
・2006年 最年少でエディ・タウゼント賞(最優秀トレーナー賞)を受賞




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