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第32代日本ミニマム級王者の石澤開(27=M・T)が17日、自身のSNSで引退を発表した。2017年6月にデビューした石澤は、回転力を活かしたコンビネーションを武器にKOを量産。2022年1月に日本ミニマム級王座を獲得した。同年4月、当時のWBO世界ミニマム級王者の谷口将隆(30=ワタナベ)に挑戦。しかし、体重超過のため石澤が勝ってもタイトルを獲得できない、変則タイトル戦として行われ、11回TKO負けを喫した。
今年4月にフィリピン・ボホール島で、WBOグローバル・ライトフライ級王者のレジー・スガノフ(26=比)に8回TKO負けした試合が、ラストファイトとなった。
今年4月にフィリピン・ボホール島で、WBOグローバル・ライトフライ級王者のレジー・スガノフ(26=比)に8回TKO負けした試合が、ラストファイトとなった。
戦績:15戦11勝(10KO)4敗
電話取材に応じた石澤は、「体のダメージや、世界戦をあのような形(体重超過)で失敗したにも関わらず、ビンス・パラス(比)やレジー・スガノフといった、勝てば世界に進む道を用意してくれた。しかし、2回ともチャンスを掴むことができなかった。ボクサーとして年齢も若くはない。続けたい気持ちもあったが、第2の人生の方が圧倒的に長い。人生の全てを懸けてまで、ボクシングを続けられるかといったら、自分の取り巻く環境とかを考えると、厳しいと思った」と引退理由を明かした。
試合から2週間後、進退について考え始めて、引退という結論に至った。その後、スポンサーや応援者に報告して、今回のSNSでの発表となった。
試合から2週間後、進退について考え始めて、引退という結論に至った。その後、スポンサーや応援者に報告して、今回のSNSでの発表となった。
「完璧ではないが良くできたと思う」
石澤は、「目指していた世界チャンピオンにはなれなかったので、完璧ではないが、よくやってこれた方だと思う。しかし、一番の目標だった世界タイトルは、あんな形で失敗したので、心残りはある。環境に恵まれて、日本タイトルを獲ることができた。応援してくれる方にも、形に残る恩返しはできたと思う」とこれまでの15戦を振り返った。
井上夕雅との日本ユース・ミニマム級王座決定戦
思い出深い一戦に、2018年11月に行われた井上夕雅(尼崎亀谷→真正)との日本ユース・ミニマム級王座決定戦を挙げた。「それまで勝っても感情を出すことはなかったが、井上君を倒してレフェリーが手を交差した瞬間、無意識に雄たけびをあげていた。ボクシングで初めて形に残った試合」。打たれても常に倒しにいくスタイルを貫き、ミニマム級で11勝中10KOと高いKO率を誇った。
中谷潤人と切磋琢磨してきた
石澤の先には、常に同門で世界3階級制覇王者の中谷潤人(26)がいた。「最初はいつか(中谷を)越してやると思っていたが、途中から『情けないが、これは(追い越すのは)ちょっと無理だな』と諦めた」。これまで何度もスパーリングで切磋琢磨しながら、1歳下の中谷の存在を意識してきた。「M.Tジムには、潤人だけでなく俺もいるぞ」と、黙々と汗を流して拳を磨いていた姿を筆者は何度も目にしてきた。
お疲れさまでした
「中学でジムに入門して、村野さん(村野健会長)の下で、ベルトを獲りたいと思ってやってきた。何度もチャンスをくださった。結果で返すことはできなかったが、本当に感謝している」と、所属ジムに感謝の気持ちを言葉にすると、「一点の曇りなく、ボクシングをやって良かった」と話した。今後のことは未定で、これからじっくり考えていくという。
石澤のことは何度も取材したが、芯があり、言葉一つひとつに重みが感じられた選手だった。普段の口調は物静かだが、いったんリングに上がると、野性味あふれるファイトのギャップに惹かれた。これからの人生の成功を願う。
石澤のことは何度も取材したが、芯があり、言葉一つひとつに重みが感じられた選手だった。普段の口調は物静かだが、いったんリングに上がると、野性味あふれるファイトのギャップに惹かれた。これからの人生の成功を願う。