試合日程 | 試合結果 | 動画ニュース | ランキング | 選手検索 |
13日、都内・協栄ジムで現役引退を表明した元WBA世界フライ級王者・坂田健史。生涯戦績は43戦36勝(17KO)6敗2分を記録。1999年度全日本フライ級新人王を獲得後、第45・47代日本フライ級王者となり、第69代WBA世界フライ級王者に君臨。日本ボクシング界において、記録にも記憶にも残る伝説のボクサーとして、一時代を築き上げた。
協栄ジムで開かれた引退会見では、坂田が自分自身のベストマッチと今後を語った。
協栄ジムで開かれた引退会見では、坂田が自分自身のベストマッチと今後を語った。
坂田 健史
43戦の激戦を戦い抜き、坂田健史はベストマッチに2試合を挙げた。「忘れられないのは世界初挑戦でアゴを折られた試合と、世界王者になった試合。この2つの試合が忘れられない。色んな意味で、パーラ戦は世界を体験したと思う。世界の実力、雰囲気、リングを体験出来た」と。
最初の世界戦は2004年6月、有明コロシアムで開催されたWBA世界フライ級王者パーラとの試合であり、この戦いで下顎骨折の重傷を負い、10ヶ月のブランクを余儀なくされた。坂田はこの試合を「自分のピークだったと思う。一番動けていた」とも語った。そしてもう一つのベストマッチは、2007年3月の世界奪取となったパーラとの3度目の戦いを挙げた。坂田のボクシング人生においてロレンソ・パーラは分岐点となる印象深い相手であったのであろう。
最初の世界戦は2004年6月、有明コロシアムで開催されたWBA世界フライ級王者パーラとの試合であり、この戦いで下顎骨折の重傷を負い、10ヶ月のブランクを余儀なくされた。坂田はこの試合を「自分のピークだったと思う。一番動けていた」とも語った。そしてもう一つのベストマッチは、2007年3月の世界奪取となったパーラとの3度目の戦いを挙げた。坂田のボクシング人生においてロレンソ・パーラは分岐点となる印象深い相手であったのであろう。
最愛の家族と
今後について坂田は「全くの未定。自分なりの道を探して行きたい。引退を悩んでいる時に(専修大学2部)大学を受験して合格しました。マーケティング学科を専攻します。思いつきで受けた部分もあるが、シッカリと学んで行きたい」と大学合格を明かし、4月からは晴れて学生になることを報告。指導者としては「ボクシングは素晴らしいスポーツ。この素晴らしいボクシングを広めて行きたいが、直ぐに指導者となるかは別。これから考え、探って行きます」と語るに留まった。
今後の人生にプラスとなればと大学進学を決めた坂田。大学で学び、指導者としてボクシング界に復帰するのであろうか。そして、坂田健史が育てた"Burning Fist"2世がリングに誕生する日は訪れるのか…。
今後の人生にプラスとなればと大学進学を決めた坂田。大学で学び、指導者としてボクシング界に復帰するのであろうか。そして、坂田健史が育てた"Burning Fist"2世がリングに誕生する日は訪れるのか…。