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[ニュース]2013.7.23

憧憬のリングに立つ荒川

 7月27日(日本時間28日)、荒川仁人(31=八王子中屋)は中学時代から憧れていた世界戦のリングに立つ。オマール・フィゲロア(23=米)とのWBC世界ライト級暫定王座決定戦。敵地ともいえる米国テキサス州サンアントニオでの試合だけに楽観的な予想は立てられないが、荒川は「序盤を乗りきれば中盤から終盤にはペースをつくることができる」と自信をみせる。
 日本から東洋太平洋、そして世界へ。大一番を前に、地に足をつけて活動を続けてきた「ベビーフェイス・スナイパー」、荒川仁人の半生を紹介しよう。
※荒川対フィゲロアは7月29日(月)午後9時からWOWOWライブで「タイムリー オンエア」として放送予定。
唯一映ったのがWOWOW
 荒川は1981年12月23日、東京都武蔵野市で生まれた。中学のときに静岡県南伊豆町に移り住み、ここでボクシングと出会う。世界最高峰のボクシングを放送するWOWOW「エキサイトマッチ」を見て、「いつかは俺もあんな輝かしいリングに立ちたい」と夢を抱いたのだ。しかし、本格的にボクシングを始めるのは、ずっと後のことになる。
子供の頃から知る中屋会長
 高校では野球部創部に奔走し、2年と3年のときには左腕のエースとしてチームを引っ張った。夏の静岡予選は2年連続でコールド負けだったが、荒川はこれがいまの自分の原点になっているという。「野球を通じて一生懸命にものごとに取り組むことを知りました」と話す。ちなみにトレードマークともいえる五分刈は、当時から16年以上も続いている。「一度だけ、アルバイト先の都合でかつらをかぶって仕事したことがあります」と荒川は笑う。
世界のリングに立つ師弟
 高校卒業後、上京して八王子中屋ジムに入門。アマチュアで5戦(4勝3KO1敗)を経験後、04年2月にプロデビューを果たした。翌年には加藤善孝(角海老宝石=現東洋太平洋&日本ライト級王者)に勝って東日本新人王、さらに全日本新人王に輝くなど歩みは順調だった。加藤とは翌年に再戦して判定負けを喫したが、今回の世界挑戦に向けてスパーリング・パートナーとしてライバルの協力を得ることができた。拳を交えた者同士だけに、通い合うものがあるのだろう。
東洋太平洋王者時代
 08年9月、当時の東洋太平洋ライト級王者で世界ランクの常連だったランディ・スイコ(比)に挑戦。引き分けに終わったものの大いに株を上げたものだった。その後、3連勝を収めた荒川は近藤明広(日東)を判定で下して日本ライト級王座を獲得した。10年4月のことである。この王座は3度の防衛後に返上し、11年10月には東洋太平洋王座の決定戦に臨む。圧勝が予想された試合だが、荒川は2回にダウンを喫するなど序盤で大きくつまづき、判定で辛勝という結果に終わった。日本王座のV2戦でも序盤にダウンを喫しており、「荒川はスロースターター」との評は、こうしたデータから来ているといえる。
夢の舞台に立つ
 三垣龍次(M&T)、嶋田雄大(ヨネクラ)を退けた荒川は世界1位まで躍進。12年11月にはメキシコで2位にランクされる地元のダニエル・エストラーダと挑戦者決定戦を行った。荒川は5回に相手の左目上を切り裂いたが、この傷がもとで試合は10回でストップ。TKO勝ちが宣せられるものと思われたが、なんと負傷判定に持ち込まれて敗北を言い渡されたのだった。「セコンドの指示どおりに動けなかった自分の責任もある」と荒川は敗北を受け入れたが、試合後に中屋一生プロモーターが猛抗議。その年のWBC総会でも正当性を訴えた。こうした援護射撃もあり荒川は再度WBC1位に浮上、今回のチャンスを掴むことができた。荒川は言う。「僕はWOWOWの『エキサイトマッチ』をとおして夢をもらいました。その舞台に立てるので光栄です。緊張したらもったいないじゃないですか。しっかりと記憶に留められる試合にしたいですね」

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