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日本ボクシングコミッション(JBC)試合役員、須藤尚紀リングアナウンサーが13日、後楽園ホールで開催された「第45弾 ザ・グレイテストボクシング」で1000回目のアナウンスを迎えた。
2001年にリングアナデビューした須藤氏は、メモ帳の右上に担当した興行数を記入しており、今回が節目の1000回目となった。
2001年にリングアナデビューした須藤氏は、メモ帳の右上に担当した興行数を記入しており、今回が節目の1000回目となった。

節目の1000回目
興行が始まる前に取材に応じた須藤氏は「ここまできたのが早いのか遅いのかわからないですが、(1000回目は)なんだか気持ちがいいですね」と話すと、「最初は漠然とメモ帳に数字を入れていたが、気がついたらここまで来ていた。996回目くらいに年内に1000回を達成しそうだなと思っていた」。そう語り、一つひとつの積み重ねだと感慨深げだった。

内山高志の世界戦はすべて担当
「ボクシングが好きで試合に関わりたい。見る側でなくて提供する側になりたい」と今から23年前にリングアナウンサーを志望。これまで世界タイトルマッチから4回戦まで、選手をコールしてきた。

師匠の形見をつけて意志を引き継ぐ
「自分ほど失敗するリングアナはいない」と苦笑いした須藤氏。「最近はないが、勝者の読み間違え、採点の読み間違えなど、今では死語となったが『もとい…〇〇』と使うことが多く、『もといの須藤』と屈辱的なニックネームで言われたこともあった」。
それでも、師匠である酒井忠康リングアナ(享年84)の厳しい指導の下、経験を積んでいった。酒井さんの形見であるカフスボタンをつけてリングに立っている。
それでも、師匠である酒井忠康リングアナ(享年84)の厳しい指導の下、経験を積んでいった。酒井さんの形見であるカフスボタンをつけてリングに立っている。

「次は2000回を目指す」
次の目標を聞かれた須藤氏は「2000回を目指します(笑)。このペースでいったら84歳になりますね。でも、ボクシングの人気が高まって興行数が増えたら、それだけペースが早くなる。2000回をモチベーションに、これからもがんばっていきたい」と意欲を示した。