[引退試合]2013.10.26
西島「ボクサーとして終わりたい」
「ボクシング界の野茂」と呼ばれた西島
90年代、本格派ヘビー級ボクサーとしてアメリカ進出を目指す姿勢から、「ボクシング界の野茂」と呼ばれた男、西島洋介(40)は、日本非公認のWBF世界クルーザー級王座への挑戦前後で、日本ボクシング界と事実上の絶縁をするように、拠点をアメリカへ移した。その西島が紆余曲折を経て、今年11月に熊本県益城町総合体育館で迎える引退試合はボブ・サップ(39)とのキックボクシング戦。主催者側に西島の出した条件は、ボクシングシューズを履くことだった。
都内で取材に応じた西島
渡米した西島は、長い時を経て、総合格闘技やキックを戦う格闘家という意外な方針で帰国した。ともすればもはや、ボクシング界とは疎遠を通り越した存在にも思えるが、この男の印象は、必ずしも悪くあるまい。それは西島が、不器用にも「最強を目指す生き様」を貫いてきことが、理由のひとつではないだろうか。
寡黙で知られた西島が、淡々とこれまでを振り返る。
「渡米の頃は、向こうの関係者から歓迎するから何も気にするなと言われて、自分もそれでいいかなと思ってしまったんですけど、いま思えば、私ももっと話せばよかったと思います。日本を去る理由が、バラエティ番組への露出が肌に合わなかったってことになっていますけど、苦手意識があるだけで嫌いではありませんでした。治会長が一緒に出て助けてくださっていたので」
世界王者になる前から、たとえば『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演するほど、西島を有名にしたのはオサムジムの渡辺治会長だった。渡米の際に離縁となったが西島は「技術的な師匠であることは、最後まで変わりなかった」と語る。
別れた師のアイデアは利用すべきではないという方針から、忍者をイメージした足袋、草模様のトランクスは履かなくなった。アメリカを拠点にしても、24勝(15KO)2敗1分の好レコードを維持した西島だったが、異種格闘技の参戦で歯車が狂う。総合格闘技0勝5敗、キック0勝2敗。ネームバリューがあるだけに、常にその競技のトップ選手ばかりと試合を組まれたのは酷だった。
「原因は私にもある。ボクシングが好きだったんで、のめりこめなかったんですよ。今回に限らず、何度もボクシングシューズとグローブで戦わせてほしいとルールに条件を出してきました。うまく行ったことも行かなかったこともありますけど」
それは高校時代、「宇宙一強い男」に思えたマイク・タイソンへのあこがれが、最後まで残ってきたからだという。
11月17日の引退試合では、キックボクシングルールでありながら、西島はボクサーとしての生き様を見せる。
「ボブ・サップに勝ったら、また家族4人で暮らしたいですね」
寡黙で知られた西島が、淡々とこれまでを振り返る。
「渡米の頃は、向こうの関係者から歓迎するから何も気にするなと言われて、自分もそれでいいかなと思ってしまったんですけど、いま思えば、私ももっと話せばよかったと思います。日本を去る理由が、バラエティ番組への露出が肌に合わなかったってことになっていますけど、苦手意識があるだけで嫌いではありませんでした。治会長が一緒に出て助けてくださっていたので」
世界王者になる前から、たとえば『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演するほど、西島を有名にしたのはオサムジムの渡辺治会長だった。渡米の際に離縁となったが西島は「技術的な師匠であることは、最後まで変わりなかった」と語る。
別れた師のアイデアは利用すべきではないという方針から、忍者をイメージした足袋、草模様のトランクスは履かなくなった。アメリカを拠点にしても、24勝(15KO)2敗1分の好レコードを維持した西島だったが、異種格闘技の参戦で歯車が狂う。総合格闘技0勝5敗、キック0勝2敗。ネームバリューがあるだけに、常にその競技のトップ選手ばかりと試合を組まれたのは酷だった。
「原因は私にもある。ボクシングが好きだったんで、のめりこめなかったんですよ。今回に限らず、何度もボクシングシューズとグローブで戦わせてほしいとルールに条件を出してきました。うまく行ったことも行かなかったこともありますけど」
それは高校時代、「宇宙一強い男」に思えたマイク・タイソンへのあこがれが、最後まで残ってきたからだという。
11月17日の引退試合では、キックボクシングルールでありながら、西島はボクサーとしての生き様を見せる。
「ボブ・サップに勝ったら、また家族4人で暮らしたいですね」