[引退]2024.1.28
元WBO-AP王者の村地翼が引退を表明
村地翼(駿河男児)
第13代WBOアジアパシフィック・スーパーフライ級王者の村地翼(27=駿河男児)が27日、自身のSNSで引退を表明した。
アマチュア32戦16勝16敗の成績を残して、2018年5月にデビューした村地は、2022年10月に2度目の挑戦でWBO-AP王座を獲得。このタイトルは防衛することなく返上すると、昨年9月に日本王者の高山涼深(27=ワタナベ)に挑戦。8回TKO負けを喫し、この試合がラストファイトとなった。
電話取材に応じた村地は、前島正晃会長をはじめ、支えてくれた人たちに感謝の気持ちを言葉にした。
アマチュア32戦16勝16敗の成績を残して、2018年5月にデビューした村地は、2022年10月に2度目の挑戦でWBO-AP王座を獲得。このタイトルは防衛することなく返上すると、昨年9月に日本王者の高山涼深(27=ワタナベ)に挑戦。8回TKO負けを喫し、この試合がラストファイトとなった。
電話取材に応じた村地は、前島正晃会長をはじめ、支えてくれた人たちに感謝の気持ちを言葉にした。
ラストファイトとなった高山涼深戦
「サルダール(フローイラン・サルダール=比)に負けた時に、次に負けたら辞めようと決めていた。高山選手に負けたことで、30歳までボクシングを続けるとして、(逆算して)あと3年で世界までの距離を縮めることは無理だなと。拳四朗選手といった世界のトップ選手とスパーリングをさせてもらって、圧倒的に差を感じた。自分に勝った高山選手とサルダールを心から応援できる。その時に自分に闘争心がなくなったんだなと思った」と、グローブを吊るした理由を明かした。
高山戦後に改めて熟考し、年明けに前島会長に気持ちを伝えた。
高山戦後に改めて熟考し、年明けに前島会長に気持ちを伝えた。
戦績:13戦10勝(3KO)2敗1分
「中学1年からボクシングを始めて15年間、良い思いも苦い思いもさせてもらったが、ボクシングを通じて出会った人々は、僕にとって宝物です」。
兵庫県でボクシングを始めた村地は、東洋大学ボクシング部に進むと前島会長に誘われて、大学卒業後に静岡県富士市の駿河男児ジムに入門した。「会長にはボクシングや私生活のことなど、すべてのことを相談していた。本当に感謝しかないです。そして、出稽古やフィリピン合宿でお世話になり、最後のタイトル戦も応援してくださった三迫貴志会長にも感謝しています」。
兵庫県でボクシングを始めた村地は、東洋大学ボクシング部に進むと前島会長に誘われて、大学卒業後に静岡県富士市の駿河男児ジムに入門した。「会長にはボクシングや私生活のことなど、すべてのことを相談していた。本当に感謝しかないです。そして、出稽古やフィリピン合宿でお世話になり、最後のタイトル戦も応援してくださった三迫貴志会長にも感謝しています」。
サルダール戦
一番思い出深い試合にサルダールとのWBO-AP王座決定戦を挙げた。「自分の未熟さ、プロの厳しさを教えてもらった試合。そこからまた頑張ろうと思えた。あの一戦を経て今につながっている」。
デビューからわずか5戦目でタイトル戦に臨んだ村地は、序盤にダウンを奪ったが、サルダールの強打を浴びて2度ダウンした末に、8回TKO負けを喫した。タイトル挑戦は、時期尚早との厳しい意見もあったが、悔しさをバネにコツコツと力をつけて、第二の故郷である静岡で戴冠した。
デビューからわずか5戦目でタイトル戦に臨んだ村地は、序盤にダウンを奪ったが、サルダールの強打を浴びて2度ダウンした末に、8回TKO負けを喫した。タイトル挑戦は、時期尚早との厳しい意見もあったが、悔しさをバネにコツコツと力をつけて、第二の故郷である静岡で戴冠した。
駿河男児ジム初のチャンピオン
創設13年目で初のチャンピオンとなった村地は、リング上で前島会長にベルトを巻いた。感極まった前島会長の男泣きが忘れられない。「自分のせいで会長もいろいろと言われたが、一つの形を残すことができた」。
おつかれさまでした。
今後のことは未定だが、静岡に残り、次のステージを模索していく。「自主興行や駿河男児ジムの試合など、できる限りお手伝いして、恩返ししていきたい」と語った。
強くなることに貪欲で努力を怠らない選手だった。コロナ禍で対面取材が難しい時でも、快く電話取材に応じてくれたのを覚えている。ボクシングで培った経験を活かし、どんな場面でも成功することを願っている。
強くなることに貪欲で努力を怠らない選手だった。コロナ禍で対面取材が難しい時でも、快く電話取材に応じてくれたのを覚えている。ボクシングで培った経験を活かし、どんな場面でも成功することを願っている。