[引退]2021.10.6
元OPBF王者の秋田屋まさえが引退
秋田屋まさえ(フュチュール)
フュチュールジムは5日、元OPBF東洋太平洋アトム級王者の秋田屋まさえの引退を発表した。2008年5月にデビューした秋田屋は、OPBF東洋太平洋王座獲得に成功。このタイトルを1度防衛した。2018年8月の大阪での試合がラストファイトとなった。
電話取材に応じた秋田屋は「ボクシングを通じてたくさんの人と出会えた。本当にかけがえのないボクシング人生だった」と今の心境を語った。
生涯戦績:21戦13勝(4KO)6敗2分
電話取材に応じた秋田屋は「ボクシングを通じてたくさんの人と出会えた。本当にかけがえのないボクシング人生だった」と今の心境を語った。
生涯戦績:21戦13勝(4KO)6敗2分
復帰を模索したが…
現在の秋田屋は両目外傷性白内障を患い、視力が低下。時々物が二重に見えたり、目眩を起こすことがあるという。現在も治療中ということだ。復帰を模索していたが「いつからではなく試合やスパーリングでのダメージの蓄積で外傷性白内障になった。今後の人生のことも考えて決断しようと思った」と引退の理由を明かした。
北海道芦別市生まれの秋田屋は、就職のため20歳で上阪。「体を動かしたくて」と24歳でワイルドビートジムに入門し、アマチュアを経てプロボクサーになった。「競技を始めてから19年。夢中になりすぎてあっという間だった」と、これまでのボクシング人生を振り返った。
2016年3月の神田桃子戦
思い出の一戦として、2016年3月に後楽園ホールで行われた神田桃子(当時:勝又)とのOPBF東洋太平洋アトム級タイトルマッチを挙げた。「ご飯に行ったり泊りに行ったりするくらい仲の良かった桃ちゃんとの試合が一番印象深い」。「北海道から東京への飛行機が吹雪で欠航になる中、家族や友人が予約していた1便だけが飛ぶことになり、会場に来てくれた。その時に私に運が回ってきたなと思った」とエピソードを明かしてくれた。
今後は未定
祖父母が芦別の老舗「秋田屋旅館」を経営していて(現在は亡くなり、祖父母の孫(秋田屋選手の従兄弟)が継いでいる)、「誰よりも一番に応援してくれていた祖母のために」とリングネームを「秋田屋」にしたという。「周りからは『引退したら秋田屋旅館の女将になるの?』と言われていたが今のところ考えていません(笑)」。今後については未定だという。
お疲れさまでした
「移籍して1試合もできなかったが、支えてくれた平山会長(フュチュールジム)、よく話を聞いてくれた前の所属ジムの佐賀会長(ワイルドビートジム)には感謝してもしきれません」と2人の恩師への思いを語った。