[電話取材]2021.7.26
36歳対決! 太田啓介と小澤剛がぶつかり合った!
左:太田啓介(レパード玉熊)
右:小澤剛(鴻巣茂野)
右:小澤剛(鴻巣茂野)
太田啓介(レパード玉熊)と小澤剛(鴻巣茂野)が26日、後楽園ホールで開催された「DANGAN242」62.5kg契約6回戦で対戦した。
両者とも36歳同士で太田は今年8月の誕生日でボクサー定年の37歳を迎えるため、これがラストファイトになる。一方、元日本スーパーライト級ランカーで日本王座に挑戦経験のある小澤は、約8年8ヶ月ぶりにリングに立った。
ベテランボクサーの意地がぶつかり合った!
両者とも36歳同士で太田は今年8月の誕生日でボクサー定年の37歳を迎えるため、これがラストファイトになる。一方、元日本スーパーライト級ランカーで日本王座に挑戦経験のある小澤は、約8年8ヶ月ぶりにリングに立った。
ベテランボクサーの意地がぶつかり合った!
小澤剛(鴻巣茂野)が勝利
初回は小澤が左ボディを痛打し先制攻撃を仕掛けるが太田は細かい連打を当てて対抗。ボディにパンチを集めると豊富な手数で攻め立てた。中盤、真っ向から打ち合った小澤はワンツーを決めてジャッジに攻勢をアピール。終盤も小澤の有効打が勝った。
「気持ちで負けたくなかった」
試合後に電話取材に応じた小澤は「打ち合いに賭けた太田選手の粘り強さとスタミナ、手数がすごかった。正直なところ負けた気持ちでいっぱいです。採点を聞いて自分の勝ちがわかった上でも太田選手の勝ちだなという気持ち」と素直な胸の内を明かした。
序盤に左足を痛めたことを明かした小澤は「思い通りの動きができなかった。アクシデントに対応できなかったが、後半になって対応できるようになった。太田選手の強い気持ちに負けないように自分も戦った。諦めて膝を折るようなことはしたくなかった」と気持ちの勝利を強調した。
この日初めて7歳の長男と5歳の長女に父の戦う姿を見せた。
序盤に左足を痛めたことを明かした小澤は「思い通りの動きができなかった。アクシデントに対応できなかったが、後半になって対応できるようになった。太田選手の強い気持ちに負けないように自分も戦った。諦めて膝を折るようなことはしたくなかった」と気持ちの勝利を強調した。
この日初めて7歳の長男と5歳の長女に父の戦う姿を見せた。
「まずはランキング復活を目指す」
小澤は、2012年6月に岩渕真也(草加有沢→引退)が保持していた日本王座に挑戦したが判定負けを喫し同年11月の試合を最後にグローブを吊るした。
ボクシングとは無縁の生活を送っていたが、同じジムで汗を流した元日本ランカーの泉圭依知、大塚隆太、高見良祐が相次いで引退した。「自分は先に夢を託して引退したが高見が引退した時に『もう一度頑張ろう』」と2年半前にカムバックを決意した。
来年4月の誕生日でボクサー定年の37歳を迎える。現役続行のためには日本ランカーになることが条件だ。残されたチャンスはそう長くはない。「今日の出来では何を言っているんだという話だが、ランカーになれば定年が延長になる。まずはランキングに入ること。そしてチャンスを待ち続ける。太田選手の思いも背負って戦い続ける」と言葉に力を込めた。
ボクシングとは無縁の生活を送っていたが、同じジムで汗を流した元日本ランカーの泉圭依知、大塚隆太、高見良祐が相次いで引退した。「自分は先に夢を託して引退したが高見が引退した時に『もう一度頑張ろう』」と2年半前にカムバックを決意した。
来年4月の誕生日でボクサー定年の37歳を迎える。現役続行のためには日本ランカーになることが条件だ。残されたチャンスはそう長くはない。「今日の出来では何を言っているんだという話だが、ランカーになれば定年が延長になる。まずはランキングに入ること。そしてチャンスを待ち続ける。太田選手の思いも背負って戦い続ける」と言葉に力を込めた。
「満足している」
一方、ラストファイトを終えた太田は「そこそこパンチを当てているのに見栄えが悪くて、いつもの負けパターンだった。序盤は効かせてポイントを取れたと思ったが、後半は相手の方が上手くポイントを取った。力を出し切ることができなかった」と試合の感想を口にした。しかし、「ボクシングをやり切った感はある」と完全燃焼したようだ。
大学4年の2009年1月にデビューした太田だが、初回29秒KO負けという厳しいスタートだった。太田は「あの負けがあったから続けることができた。ボロ負けじゃなくある程度戦って負けていたらあの一戦で辞めていたと思う」とデビュー戦での悔しさを糧に戦い続けた。
大学4年の2009年1月にデビューした太田だが、初回29秒KO負けという厳しいスタートだった。太田は「あの負けがあったから続けることができた。ボロ負けじゃなくある程度戦って負けていたらあの一戦で辞めていたと思う」とデビュー戦での悔しさを糧に戦い続けた。
「ボクシングをして良かった」
その後「少しずつ強くなって行けるところまで行こう」と勝ち負けを繰り返しながら2012年には、東日本新人王決勝戦まで進みA級ボクサーとなった。ランキングには手が届かなかったが「満足している。ボクシングをしてきて良かった」と14年間のボクシング人生を振り返ると、「これまで何度もジムから足が遠ざかったが、ジムに行くといつもミットを持って自分を受け入れてくれた。本当にうれしかった」とレパード玉熊会長と所属ジムに感謝の気持ちを言葉にした。