[引退会見]2020.9.1
何度も立ち上がった八重樫東が引退!
八重樫東(大橋)15年間のプロキャリアを終えた
"激闘王"のニックネームで常にボクシングファンの心を熱くしてきた元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、オンライン会見を開き引退を発表した。
井岡一翔(井岡→AmbitionGYM)との日本初の世界2団体統一戦やローマン・ゴンサレス(帝拳/ニカラグア)との名勝負、そして世界3階級制覇達成など、八重樫が成し遂げてきた偉業を振り返れば話が尽きない。しかし、「結果的には世界3階級制覇を達成したが、自分は常に強い相手と戦いたいと思いながらやってきた。(3階級制覇は)あとからついてきた結果」と八重樫らしいコメントを残した。
生涯戦績:35戦28勝(16KO)7敗
井岡一翔(井岡→AmbitionGYM)との日本初の世界2団体統一戦やローマン・ゴンサレス(帝拳/ニカラグア)との名勝負、そして世界3階級制覇達成など、八重樫が成し遂げてきた偉業を振り返れば話が尽きない。しかし、「結果的には世界3階級制覇を達成したが、自分は常に強い相手と戦いたいと思いながらやってきた。(3階級制覇は)あとからついてきた結果」と八重樫らしいコメントを残した。
生涯戦績:35戦28勝(16KO)7敗
最後は大橋秀行会長の言葉を受け入れた
グローブを置く決意を固めたのは八重樫の誕生日である今年の2月25日のこと。「体力的に限界を感じたわけではないが、自分ひとりで続けることはできない」とずっと苦楽をともにしてきた師匠である大橋秀行会長に「今後チャンスがなければ辞めます」と相談したところ、「もういいではないか」と引退を勧められ、「会長の言葉を受け入れた。悔いは必ず残るもの。常に前を向いて明日が良い日になればと思いながら生きていく。今はスッキリしている」と晴れやかな表情で引退に至る経緯を説明した。
大橋ジムでトレーナ―をしていく
今後は、飲食店と軽貨物会社の経営とフジテレビのボクシング番組の解説、タレント活動。そして大橋ジムに残り、トレーナー業を務めつつ、10月からはパーソナルトレーナー業も行う。先月デビュー戦を勝利した中垣龍汰朗(20)を指導していく。八重樫は「引退しても大橋ジムの八重樫として生きていきたい。会長の力になれるように自分の知識と経験を後輩たちに伝えていきたい」と全力でサポートしていく。
ゴンサレスとの名勝負
会見に同席した大橋会長は「ついにこの日が来てしまった。15年間、長いようで短い中身の濃いボクシング人生だったと思う。ずっと間近に見ていたが、ボクサーとしても人間としても成長していく姿を見せてもらった。自分も八重樫にはいろいろと教えてもらった。八重樫の試合や練習する姿を見て後輩が育ち、大切なことを残してくれた。本当にお疲れでした」と愛弟子の功績を称えた。
横で聞いていた八重樫は「(大橋会長は)ボクシングの師匠でもあり、人生の師匠。いつも近くにいてどんなに苦しい時でも会長と一緒にいてくれたからこそ楽しくできた。これからもずっと一緒にやっていきたい」と絆の深さを物語った。
「八重樫の全盛期はいつか?」という問いに大橋会長は迷わずに「井岡戦の前が一番強かった」と、2012年6月に大阪で行われた井岡一翔(井岡→AmbitionGYM)との日本初の世界2団体統一戦を挙げた。
横で聞いていた八重樫は「(大橋会長は)ボクシングの師匠でもあり、人生の師匠。いつも近くにいてどんなに苦しい時でも会長と一緒にいてくれたからこそ楽しくできた。これからもずっと一緒にやっていきたい」と絆の深さを物語った。
「八重樫の全盛期はいつか?」という問いに大橋会長は迷わずに「井岡戦の前が一番強かった」と、2012年6月に大阪で行われた井岡一翔(井岡→AmbitionGYM)との日本初の世界2団体統一戦を挙げた。
松本好二トレーナーと歩んできた。
長らくコンビを組んだ松本好二トレーナーは「印象に残っているのは世界チャンピオンになる前のこと。怪我の連続でもう辞めた方がいいと思ったが、諦めずによく世界王者になってくれた。生き様を見せてくれた。八重樫と一緒に歩むことができたのはトレーナー冥利に尽きる」と思い出を振り返った。松本氏は「ダウンから立ち上がってきて勝った精神力が印象深い」と2010年5月に行われた武市晃輔(※現六島ジムチーフトレーナー)との日本タイトル2度目の防衛戦を挙げた。
負けても何度も立ち上がった八重樫東!
ファンの脳裏に焼き付く激闘を数多く繰り広げた八重樫だったが、やはりローマン・ゴンサレスとの一戦は忘れられない。敗れはしたものの、何度倒れても立ち上がる姿は感動を呼んだ。当時、試合前の発表会見で「8割方は僕が負けると予想すると思うが、それを覆してこそボクシング、人生の醍醐味。必ずやとは言えないが悔いのないよう一生懸命に戦い、奇跡を起こしたい」と意気込んだ。試合前には長男の圭太郎君や長女の志のぶちゃんのために「こいつらのために生きて帰ってくるんだ」と覚悟を持ってリングに上がった。「あんなに楽しい試合はなかった」とパウンド・フォー・パウンド最強と言われたゴンサレスとの試合を振り返った。毎試合、顔を大きく腫らしながら戦う八重樫に"激闘王"のニックネームがついたが「大好きです。すごく親しみのあるニックネームで、これからも自分の宝物になると思う」と語った。
最後に「自分が誇れるのは世界チャンピオンになったことではなくて、負けても何度でも立ち上がったこと」と、大橋会長が現役時代に残した名言を引き合いに出すと「自分も会長と同じようになれた」と胸を張った。
大橋会長が「井岡戦もロマゴン戦も負けたのにものすごい声援だった。こんなボクサーはいない」という言葉が八重樫そのものを表している。記録はもちろんだが、記憶に残る試合、生き様を何度も見せてくれた激闘王がリングを去る。
おつかれさまでした。そして、ありがとう。
最後に「自分が誇れるのは世界チャンピオンになったことではなくて、負けても何度でも立ち上がったこと」と、大橋会長が現役時代に残した名言を引き合いに出すと「自分も会長と同じようになれた」と胸を張った。
大橋会長が「井岡戦もロマゴン戦も負けたのにものすごい声援だった。こんなボクサーはいない」という言葉が八重樫そのものを表している。記録はもちろんだが、記憶に残る試合、生き様を何度も見せてくれた激闘王がリングを去る。
おつかれさまでした。そして、ありがとう。