東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災。
震災以降、日本スポーツ界はイベントの中止・延期が発表され、ボクシング界も後楽園ホールにおける3月いっぱいの興行中止が決定。それは戦後、後楽園ホールの歴史の中でも初めてのことであった。
しかし、多くの勇気・感動・希望を拳で発信してきたボクサー達は再び立ち上がり、ホールでの興行も4月から再開。
被災地の方々にとってはボクシングを見るどころではないが、日本ボクシング界はこれからも拳で、そして立ち向かう姿で被災地にエールを送り続けるだろう。
ボクシングに出来ることは何か?この問いに正面から向き合い、日本プロボクシング協会"フェニックス"大橋秀行協会長が、これからの復興支援に向け、熱き想いを持って動き出す。
フェニックス戦いの軌跡
階級:ストロー級(現ミニマム級)
出身ジム:ヨネクラジム
デビュー:1985.2.12(1RKO勝利)
通算戦績:24戦19勝(12KO)5敗
生年月日:1965.3.8
血液型:B型
出身:神奈川県横浜市
スタイル:右ボクサーファイター
150年に一人の天才、フェニックス
主な戦績:
1985.2.12 相方浩之(西遠)とデビュー戦を戦い、1RKOで相方を下す。"150年に一人の天才"と呼ばれる。
1986.6.23 6戦目で野島嘉章(P堀口)と王座決定戦を戦い、判定で野島を下し、第12代日本Jフライ級王座を獲得。だが世界挑戦のため、1度も防衛することなく王座返上。
1986.12.14 7戦目。敵地・韓国でWBC世界Jフライ級王者・張正九(韓国)に挑戦。5RKO負けで世界奪取ならず。
1988.1.11 喜友名朝博(協栄)を判定で下し、第14代日本Jフライ級王者に返り咲くも、2度目の世界王座挑戦のため日本王座を返上。
1988.6.27 11戦目。後楽園ホールで張正九のWBC世界Jフライ級王座に挑むも、8RTKO負けで世界奪取ならず。
1990.2.7 16戦目。WBC世界ストロー級王者・崔漸煥(韓国)に挑み、左ボディで王者を9RKOで破り、第4代WBC世界ストロー級王者に輝く。そして日本のジム所属選手世界挑戦連続失敗を"21"で阻止すると同時に、日本に1年3ヶ月振りとなる世界王座をもたらす。
1990.6.8 ナパキャット・ワンチャイ(タイ)を挑戦者に迎え初防衛戦。ナパキャットを判定で下し、初防衛に成功。
1990.10.25 リカルド・ロペス(メキシコ)を挑戦者に2度目の防衛戦。だが4Rと5Rに計3度のダウンを奪われ、5RTKO負けで世界王座から陥落。※一度は引退を示唆するが、再び世界を目指し"フェニックス"はリング復帰。
1991.4.23 ジュリアス・プラナス(比国)を相手に復帰戦。7RKOでジュリアスを下し、復帰戦をKO勝利でかざる。
1992.10.14 23戦目で無敗の世界王者・崔煕土庸(韓国)が保持するWBA世界ストロー級王座に挑む。激戦を判定で下して第4代WBA世界ストロー級王者となり、ストロー級でWBC・WBAを制す快挙を果たす。
1993.2.10 チャナ・ポー・パオイン(タイ)を挑戦者に、初防衛戦を迎えるが、判定で惜敗。王座を奪われる。
1994.2.7 現役引退を表明すると同時に、大橋ジム設立を発表。
2007.4.1 東日本プロボクシング協会会長就任。
2010.4.1 日本プロボクシング協会会長に就任(東日本協会と兼務)。
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