2003年7月、三浦隆司(横浜光)は国体優勝の実績を誇り、パシフィコ横浜でB級6回戦デビューを果たす。恩師である故・関光徳会長曰く“パワーが凄く、プロ向きの選手”と太鼓判を押し、その将来に絶大の期待を寄せ、三浦も関会長の期待に応えるべくプロのリングで勝利を重ねていく。
プロ11戦目。三浦は日本Sフェザー級1位・松信秀和(宮田)と拳を交え、7回KOで松信を破り同級3位にランク。一躍タイトル戦線に殴り込む形となった三浦は翌2007年9月、遂に当時の日本王者・小堀佑介(角海老宝石)に挑むこととなった。
この日本王座初挑戦は三浦にとって試練の戦いとなった。3Rに小堀からダウンを奪われると最終10R、終了直前にもダウンを奪われ、判定3-0でプロ初黒星。三浦は日本の頂点の高さを実感した。
日本の頂点を掴む戦い。この戦いは三浦に多くの試練と悔しさを与え、そしてその実力を開花させる為に必要な経験値を積む戦いとなっていく。
しかし2008年6月、日本最高峰に挑む三浦にとって敗戦以上の試練が襲い掛かる。プロデビューから三浦を見守り、時には激しく指導して来た師であり、三浦にとってはボクシング界の父とも言える存在であった関光徳会長がくも膜下出血により他界。三浦の心には塞ぐ事の出来ない大きな穴が開いてしまった。
関会長の急死から約7ヵ月後。2009年1月、チャンピオンカーニバル開幕戦で三浦に2度目となる日本王座挑戦のチャンスが訪れる。王者・矢代に挑んだ三浦は5R、7Rに矢代からダウンを奪うも、とどめとなる決定打を打ち込めず、判定ドローの裁定で王座は三浦の手からこぼれ落ちた。
この結果に三浦は一時くじけ掛けるも、半年後の7月に矢代とのダイレクトリマッチが実現。この再戦、三浦は“KO以外に勝ちは無い”と心に誓う。
三浦は立ち上がりから積極的に仕掛け2Rにダウンを奪うも、3Rには逆に矢代にダウンを奪われる壮絶な打ち合いとなる。
6R、矢代から2度のダウンを奪うと7R、三浦は一気に攻め込む。矢代を赤コーナーに追い詰め、一心不乱に打ち込むと矢代陣営はタオルを投入。レフェリーが割って入るも三浦は自分の勝利を理解出来ず、セコンドに自身の勝利を告げられると遂に感情を爆発させた。
念願の日本王者となった三浦は日本最高の証を恩師・関会長の仏前に捧げた。写真の中の関会長は、いつにもまして笑顔を見せていたことだろう。
関光徳最後の遺伝子となった三浦隆司。“名刀正宗”の想いを両の拳に宿し、日本の頂を通行手形として恩師の成し得なかった世界最高の頂を打ち抜く!!
階級:スーパーフェザー級
所属:横浜光ジム
デビュー:2003.7.12
通算戦績:19戦16勝(14KO)1敗2分
生年月日:1984.5.14
身長:170cm
血液型:A型
出身:秋田県山本郡
スタイル:左ファイター
得意パンチ:右フック
主な戦績:第43代日本Sフェザー級王者
最近3試合の試合結果
2009.7.4 後楽園ホール
日本Sフェザー級タイトルマッチ10回戦
矢代 義光(帝拳)
7R30秒TKO勝ち
※日本王座奪取
2009.1.17 後楽園ホール
日本Sーフェザー級タイトルマッチ10回戦
矢代 義光(帝拳)
10R判定1-0ドロー
※日本王座奪取失敗
2008.10.6 後楽園ホール
ダオチャイ・シッスーイ(タイ)
3R2分33秒KO勝ち
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