黄金のミドル級史 PART2
竹原、村田の偉業
ハグラー、レナード、ハーンズ、デュランらが去ったミドル級は寂しいものとなったが、そんな折り日本では竹原慎二(沖)がホルヘ・カストロ(亜)を破ってWBA王座を獲得するという偉業を成し遂げている。95年12月のことである。その後、日本人としては
保住直孝(ヨネクラ)、佐藤幸治(帝拳)、淵上誠(八王子中屋)、そして12年5月に石田順裕の4人がミドル級の頂に挑んだが、石田(判定負け)以外はKO(TKO)で敗れ去っている。ミドル級の壁が高いのはアマチュアも同じだ。日本は1928年のアムステルダム大会以後、ボクシングの代表選手を送り込んできたが、ミドル級で出場を果たしたのは96年アトランタ五輪の本博国(自衛隊体育学校)と、昨年のロンドン大会で金メダルを獲得した村田諒太(東洋大学職員)のふたりだけだ。プロとアマの違いはあるが、竹原と村田のミドル級制覇は極めて価値の高いものなのである。
V20を記録したホプキンス
80年代の黄金期以降、ミドル級にはジュリアン・ジャクソン(バージン諸島/米)、ジェラルド・マクラレン(米)、ナイジェル・ベン(英)、クリス・ユーバンク(英)ら魅力的な王者も誕生した。しかし、先輩たちの放った光があまりに眩しすぎたためか、時間が過ぎてみると印象度は薄いものになってしまった。
そんななか孤軍奮闘したのがバーナード・ホプキンス(米)だ。95年に3度目の挑戦でIBF王座を手に入れた「死刑執行人」は、21世紀に入るとWBC、WBAのベルトを次々にコレクションに加えた。04年にはオスカー・デラ・ホーヤ(米)が持っていたWBO王座も吸収、ついに史上初めて4団体の統一王者になっている。これらの王座は05年にジャーメイン・テイラー(米)に僅差判定負けで手放したが、なんと在位は10年、防衛回数は20を数えた。もちろんミドル級史でトップの記録である。
ホプキンスからテイラーに渡った4つのベルトは、ドラゴンボールのように再び散り散りとなって現在に至る。
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