黄金のミドル級史 PART2
 近代ボクシング史においてミドル級は何度か黄金期を迎えた。1920年代のトニー・ゼール(米)とロッキー・グラジアノ(米)のライバル時代、シュガー・レイ・ロビンソン(米)が活躍した40年代〜50年代、そしてエミール・グリフィス(バージン諸島/米)とニノ・ベンベヌチ(イタリア)、さらにカルロス・モンソン(亜)の60年代〜70年代など、ひと際強い光を発したものだった。
 そして80年代、ミドル級はそれらを上回るほどの空前の賑わいをみせることになる。


ハグラーを軸にした覇権争い
 80年代のミドル級の主役がマーベラス・マービン・ハグラー(米)であることには誰も異論を挟まないだろう。ニュージャージー州ニューアーク生まれのサウスポーは、アマチュアで54戦52勝(43KO・RSC)2敗の戦績を引っ提げて73年にプロ転向。プライズ・ファイターとしては14年間に67戦62勝(52KO)3敗2分のレコードを残して颯爽と時代を駆け抜けていった。80年にミドル級の世界王座を獲得したハグラーは8度目の防衛戦で「石の拳」ロベルト・デュラン(パナマ)に判定勝ちを収めるなど、無敵ぶりを世界に印象づけていた。そんなハグラーに挑戦状を叩きつけたのがWBC世界スーパーウェルター級王者の「ヒットマン」トーマス・ハーンズ(米)だった。85年4月、両雄はラスベガスのシーザースパレス特設リングで拳を交えた。THE FIGHTと銘打たれたイベントは、それに相応しくシンプルかつ壮絶な打撃戦となった。3回TKO―― 打ち勝ったのはハグラーだった。
 翌86年、ハグラーは25戦全KO勝ちの「野獣」ジョン・ムガビ(ウガンダ/米)の挑戦を受ける。これまたスリリングな強打の応酬となったが、11回まで耐え抜いて勝利を収めたのはハグラーだった。
 この試合をリングサイドで観戦していたのが、眼疾のためリングを遠ざかっていたスーパースター、シュガー・レイ・レナード(米)である。ハグラーの追い足に難点があることを見つけたレナードは、WBAの15回戦制ではなくWBCが採っていた12回戦制での試合を要求。THE SUPER FIGHTと銘打たれた試合の舞台は再びラスベガスのシーザースパレス特設リングだった。強打で追うハグラー、巧みに圧力を逃がして迎撃するレナード。一進一退の緊迫した試合となったが、判定は2対1で挑戦者に軍配が挙がった。「勝ったのは俺だ。それは試合を見たみんなが知っていることだ」―― その後、破格の条件を提示されてもハグラーは2度とリングに上がらなかった。

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