黄金のミドル級史 PART1
数々の名王者を輩出した黄金の階級
近代ボクシング史におけるミドル級の初代世界王者は、ジャック・デンプシー(アイルランド)というのが通説となっている。米国では1886年の戴冠とされる。これをスタートと考えるならば、すでに126年超の歴史があるわけだ。この間、のべ人数にして優に100人を超す世界王者が誕生したが、日本人では竹原慎二(沖)がただひとりだけ歴代王者欄に名を刻んでいる。ヘビー級の迫力と軽量級のスピードと技巧を兼備した人気のクラス、ミドル級は日本にとってはいまだに高い頂なのである。石田は自らの拳で厚い扉を開けることができるのだろうか。

今回はミドル級史に残る偉大な王者たちを簡単に紹介しよう。デンプシーを倒して2代目王者となったボブ・フィッシモンズ(英)は、のちにヘビー級とライトヘビー級でも王者となり、史上初の3階級制覇王者として知られる。5代目のスタンリー・ケッチェル(米)は破格の強打者として知られる豪腕だが、王者のまま24歳で帰らぬ人となっている。トラブルのすえライフルで射殺されるというショッキングな最期だった。
1920年代にはハリー・グレブ(米)、ミッキー・ウォーカー(米)といった人気王者を輩出した。第一の黄金期と言っていいかもしれない。
40年代には「鋼鉄の男」と呼ばれたトニー・ゼール(米)と、映画「傷だらけの栄光」で知られるロッキー・グラジアノ(米)が脚光を浴びた。両者は世界王座をかけて3度対戦。いずれも激闘だった。ゼールから王座を奪ったマルセル・セルダン(仏)も歴史に名を刻む選手といえる。セルダンは王座を失ったあと奪回を狙ってフランスから米国に向かう際に飛行機がアゾレス海に墜落、帰らぬ人となっている。セルダンはシャンソン歌手エディット・ピアフの恋人としても知られている。
そのセルダンからベルトを奪ったジェイク・ラモッタ(米)も映画「レイジング・ブル」の主人公として有名だ。このラモッタと何度も拳を交えたのがボクシング史の「パウンド・フォー・パウンド最強」といわれるシュガー・レイ・ロビンソン(米)だ。43年から51年にかけて世界戦を含め88連勝という驚異的な記録を残しているロビンソンは、まさにミドル級史を代表する名王者といえる。晩年は何度も格下相手に不覚をとったこともありミドル級で5度の戴冠を果たしている。40年代からロビンソン時代にかけての20年ほどがミドル級第二期黄金時代といえる。
スーパースターが去ったミドル級は、その後は比較的地味な王者が続いたが、60年代後半からは再び脚光を浴びることになる。エミール・グリフィス(バージン諸島/米)とイタリアのイケメン、ニノ・ベンベヌチの3連戦が好評を博したのだ。このふたりの斜陽を捉えたのが「南米のライフル」カルロス・モンソン(亜)だ。70年にベンベヌチを倒して戴冠を果たしたモンソンは無人の野を突っ走り14度の防衛に成功。不敗のまま王座を返上して一線を退いた。ところが引退後は殺人罪で服役することとなり、95年には自らの交通事故で命をなくしている。52歳だった。「呪われたミドル級」のエピソードのひとつなっている。
80年代、ミドル級は再び活況を呈することになる。圧倒的な強さを誇りライバルが皆無だったマービン・ハグラー(米)の前に、ロベルト・デュラン(パナマ)、トーマス・ハーンズ(米)、シュガー・レイ・レナード(米)らが階級の壁を越えて挑んできたのだ。
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