ゴロフキンの半生
破竹の快進撃を続けるカザフの倒し屋

WBA世界ミドル級王者
"GGG"ゲンナディ・ゲンナジェビッチ・ゴロフキン
 パンチ力のあるボクサーのことをひと口に強打者という括りで表現することが多いが、そのパンチの種類は実に様々だ。根こそぎ刈り込むようなパワーヒッターもいれば、カミソリのような鋭いパンチの持ち主もいる。あるいは丸太でゴンゴンと叩きつけるようなパンチの場合もある。プロ転向後25戦全勝(22KO)の"GGG"(トリプルG)ゴロフキンは、骨が軋むような堅いパンチという表現が最適かもしれない。暫定王座の決定戦を含め7度の世界戦をすべて規定ラウンド内で終わらせているゴロフキンは、石田との試合で7連続KO防衛を狙う。「石田はジェームス・カークランド(米)を倒した危険な選手だが、拳を交えることを楽しみにしている」とゴロフキンは3月30日(日本時間31日)の対決を心待ちにしている。
 今回は、そんな"GGG"の半生を紹介しよう。

アマ戦績は驚異の345勝5敗
 ゴロフキンは1982年4月8日、カザフスタン(当時はソ連の一部)のカラガンダで生まれた。現在は30歳で、石田戦の9日後に31歳の誕生日を迎える。
 破竹の快進撃を続けるゴロフキンだが、そのボクシングの礎はアマチュア時代に築かれたといっていい。十代後半で早くも国家代表に選出されたゴロフキンは、2000年には世界ジュニア選手権ライトウェルター級で優勝。01年には大阪で開催された東アジア大会のために来日し、ウェルター級決勝で現IBF世界ミドル級王者ダニエル・ゲール(豪)に15対3のポイント勝ちを収め優勝を飾っている。02年のアジア大会でも当然のようにライトミドル級で優勝。圧巻は03年にタイのバンコクで開催された世界選手権であろう。1回戦でマット・コロボフ(露)、2回戦でアンディ・リー(アイルランド)にポイント勝ちしたゴロフキンは、3回戦でルーマニア代表のルシアン・ビュテ(後のIBF世界スーパーミドル級王者)に4回KO勝ち。その勢いのまま準決勝、決勝も勝ち抜いて金メダルを獲得しているのだ。翌04年のアテネ五輪では銀メダルに甘んじたが、準決勝ではアンドレ・ディレル(米)にポイント勝ちを収めている。

 ゴロフキンのアマチュア戦績は350戦345勝5敗と報じられている。プロの25戦を加えた375戦でKO負けはおろか一度のダウン経験もないというのだから驚きだ。
 プロデビューはアテネ五輪から2年後の06年5月のこと。ドイツを主戦場にKOの山を築いたゴロフキンは10年8月、パナマで行われたミルトン・ヌニェス(コロンビア)との試合で58秒TKO勝ち、WBA世界ミドル級暫定王座を獲得した。この当時はドイツの最大手ウニベルスム傘下にいたゴロフキンだが、同プロモーションの経営が傾き始めるとビタリ&ウラジミールのクリチコ兄弟が主宰する「K2」に移籍。前後してアベル・サンチェス・トレーナーとコンビを組むこととなった。同トレーナーはゴロフキンのパンチ力を生かすため、さらに攻撃的なスタイルに改造していった。
つづく
ゴロフキンの半生2
特集トップへ

TOP
(C)QBIX