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荒川仁人(31=八王子中屋)が狙うライト級の世界王座は世界的にも層が厚く、欧米の壁にはね返されてきた苦い歴史がある。今回、荒川が勝って戴冠を果たせば、ガッツ石松(ヨネクラ)、畑山隆則(横浜光)、小堀佑介(角海老宝石)に続いて日本人4人目の快挙となる。
ガッツ石松氏
ヘビー級、ミドル級などとともに近代ボクシングにおいて130年近い歴史を持つライト級は、古くから欧米を中心に人気の高い階級のひとつだった。日本人が初めてライト級の世界タイトルに挑戦したのは1969年のこと。沼田義明(極東)が米国でマンド・ラモス(米)に挑戦したが、6回KO負けを喫している。白井義男(シライ)が日本に初の世界王座をもたらしたのが52年のことだから、ライト級での初挑戦まで17年かかったことになる。
日本人初の世界ライト級王者が誕生したのは、沼田の敗戦から5年後の74年のことだった。ガッツ石松がロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)を「幻の右」で8回KOに屠ったのだ。ただし石松自身もその前に2度、ライト級の壁に阻まれていたことを忘れてはなるまい。
藤岡の世界戦にて左:畑山氏
石松がWBC王座を防衛中、国内屈指の技巧派として知られた高山将孝(ピストン堀口)がWBA王者ロベルト・デュラン(パナマ)に挑んだが、100秒でKO負けを喫している。また、石松は6度目の防衛戦でエステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ)に王座を追われたが、その王座にバズソー山辺(船橋)が挑戦。しかし、6回KO負けに退いた。77年のことである。
以後、長いことライト級のベルトは高嶺の花となっていたが、93年にオルズベック・ナザロフ(キルギス/協栄)が南アフリカ共和国からWBAのベルトを持ち帰った。こうした一方、日本人としては坂本博之(角海老宝石)が98年〜01年にかけて3度、世界王座に挑んだが、いずれも惜敗。しかし、01年6月に畑山隆則がヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)を8回KOに斬って落とし、日本人2人目の世界ライト級王者となった。石松が王座を失ってから実に四半世紀が経っていた。その年の10月、畑山は初防衛戦の相手に坂本を指名。歴史に残る激闘を繰り広げたものだった。
以後、長いことライト級のベルトは高嶺の花となっていたが、93年にオルズベック・ナザロフ(キルギス/協栄)が南アフリカ共和国からWBAのベルトを持ち帰った。こうした一方、日本人としては坂本博之(角海老宝石)が98年〜01年にかけて3度、世界王座に挑んだが、いずれも惜敗。しかし、01年6月に畑山隆則がヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)を8回KOに斬って落とし、日本人2人目の世界ライト級王者となった。石松が王座を失ってから実に四半世紀が経っていた。その年の10月、畑山は初防衛戦の相手に坂本を指名。歴史に残る激闘を繰り広げたものだった。
08年、小堀氏の王座奪取
08年5月、小堀佑介がホセ・アルファロ(ニカラグア)とのダウン応酬の激闘を3回TKOで制し、日本人として3人目の世界ライト級王者になったことは、まだファンの記憶に新しいところといえよう。
こうしたライト級の歴史に、荒川は「日本人4人目」として名前を刻むことができるのだろうか。ゴングまであと2日に迫った。
こうしたライト級の歴史に、荒川は「日本人4人目」として名前を刻むことができるのだろうか。ゴングまであと2日に迫った。