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2020年東京五輪のボクシング競技場も予定される両国国技館で行われたWBA世界ミドル級タイトルマッチで、村田諒太(31=帝拳)がアッサン・エンダム(33=カメルーン/仏)から念願の世界王座を初奪取してから1週間。分刻みで新しい話題が飛び交う昨今の情報社会でも、この快挙は多分野でいまだ挙げられる。ところで、村田はこの勝利で「五輪メダリストはプロで世界王者になれない」という日本固有のジンクスを初めて覆したことになる。これまでの「日本人メダリストと世界王座」の関係を振り返ろう。
ローマ大会の銅メダル
日本ボクシング界における五輪メダリストは、1960年ローマ大会に田辺清(中央大)がフライ級の銅メダルを獲得したことで初めて誕生した。続く1964年の第1回東京大会では桜井孝雄(同)がバンタム級で金メダルを獲得。これはアジア・ボクシング史上初の快挙だった。さらに日本は、1968年メキシコシティ大会で森岡栄治(近畿大)がバンタム級の銅メダルを獲得とホスト国として強化された戦力を発揮する。だが、以後はアジア諸国に加え、旧ソ連諸国の台頭も許し、「半世紀メダルなし」を迎えた。
「ブレイク」を呼んだ清水と村田
これがついに打破されたのが2012年ロンドン大会。清水聡(自衛隊体育学校)がバンタム級の銅メダルを獲得し、村田諒太が(東洋大学・職)がミドル級の金メダルを獲得した。ボクシングがロンドン五輪における「最もブレイクした競技」と騒がれたのは記憶に新しい。
「初代」の田辺氏はご健在
日本人メダリストたちは、その後、紆余曲折しながらも全選手がプロに転向したが、必ずしも順風満帆に勝ち組となったわけではない。田辺は1967年2月21日、ノンタイトル戦で百戦錬磨の世界王者オラシオ・アカバリョ(アルゼンチン)を破ったが、その後の合宿中に網膜剥離となり引退。「日本史上最も不運なボクサー」と語り継がれてきた。桜井は1968年7月2日、ライオネル・ローズ(オーストラリア)との世界戦で、後半にリスクを背負った攻撃をできず、それが判定負けの要因と見られたため「エリート志向の安全運転」と揶揄された。森岡は日本タイトル挑戦も失敗に終わったのち、25歳で網膜剥離を患って引退している。
村田を追って全勝中の清水
五輪メダリストはプロで世界王者になれない。そんなジンクスがあったが、現在までに清水も4戦4勝(4KO)で東洋太平洋王座を手にし、村田が破ったジンクスに続こうとしている。
王座返り咲きに迫る五十嵐
ちなみに、五輪出場者では1972年ミュンヘン大会のロイヤル小林(本名・小林和男=自衛隊体育学校)と1984年ロサンゼルス大会の平仲明信(本名・信明=日本大)、2004年アテネ大会出場の五十嵐俊幸(東京農業大)が世界王座に就いた実績を持っている。